【E-agent代表インタビュー vol.2】今も昔も、“好き”に一直線。大橋 宏一郎という人間に迫る

2025.12.04
  • Growth Stories

2025年3月のNews記事にてお届けした、E-agent代表・大橋氏のインタビュー。「エンジニアの挑戦と成功の方程式」というテーマで、代表との対話を通じ事業成長の背景や会社の強みなどについて深掘りしました。

第2回目のインタビューとなる今回のテーマは、「大橋 宏一郎、その”人間”に迫る」。幼少期の原体験や音楽へのひたむきな情熱、人との関わり、そして仕事と人生に対する向き合い方…代表が一人の人間として経験してきたことを、飾らずありのまま語っていただきます!E-agentという会社の源を、ここで感じていただくことができるかもしれません。

モノづくりに囲まれた、アクティブな幼少期

───:大橋代表はどんな場所で、どんな人々に囲まれて育ちましたか?

大橋:生まれは石川県の小松市です。前田家ゆかりの地として歴史のある場所で、小松城や安宅(あたか)の関、芦城公園といった名所も多いですね。自然も豊かで、皆のびのびとした様子で暮らしています。そこで私が生まれたのが、昭和39年。祖父が繊維反物の卸問屋を営んでいたこともあり、幼いころから賑やかな商人の活気に囲まれて育ちました。親戚や周りの人たちもほとんどが商売に携わっていたので、人と触れ合う機会も多かったですね。ちょうど、ドラマに出てくる町屋のような雰囲気を想像してもらえるといいかな。笑

大橋:うちは新しい服や流行りのおもちゃをしょっちゅう買ってもらえるような家ではなかったので、何か欲しいものがあれば自分で作っていました。家業が反物の卸問屋だったおかげで布には困りませんし、祖母にも協力してもらいながら人形やライダーベルト、ジーパンなど数々のお気に入りを生み出しましたね。あらためて思い返すと、だいぶクリエイティブな子どもではあったのかもしれません。

あと、小さい頃から何かと言い出しっぺになることが多かった気がします。いじめられている子を助けるチームを結成してみたり、心霊ブームに乗ってオカルト研究会を作ってみたり…目立ちたがり屋なうえ、やりたい!と思ったらすぐ行動に移すタイプでした。三つ子の魂百までと言いますが、そこに関しては今とまったく変わっていませんね。笑

───:自然と周りに人が集まってくる、アクティブな少年だったんですね。確かに、今の代表からも想像しやすいです。笑

人生を揺るがす、音楽との出会い

───:代表はプロのギタリストとして活動していたと伺いましたが、音楽との出会いはいつ頃だったのでしょうか?

大橋:一番最初のきっかけは、小学生の頃だったと思います。当時はテレビ全盛期で、例にもれず私もテレビっ子だったわけなんですが…その中でも特にキラキラした歌番組に心奪われまして。「レコードを出したい!」と強く思うようになったんです。それから「何か楽器ができたほうがいいんじゃないか」と考え、始めたのがトランペット。学校の鼓笛隊に入って演奏したり、レコードを買ってもらって「太陽にほえろ」のテーマ曲を練習したり…思いつく限りいろいろやっていましたね。

そして、ギターという楽器に出会ったのが中学1年の時でした。衝撃だったんです。同級生が音楽室のクラシックギターでドレミファソラシドを弾いた、ただそれだけのことだったんですが…すごい!これだ!と思ったんですよね。そこから後は、もうひたすらにのめり込んでいくだけでした。エレキギターを買い、バンドを始め、いつしかレコードを出したいという夢は「プロのギタリストになりたい」という夢へと変わっていきました。その熱量は高校、大学と進学しても一切衰えることなく、むしろ増していく一方でしたね。大学は大阪だったのですが、軽音楽部のレベルが非常に高くて刺激的だったのを覚えています。地元では負け知らずだったギターテクへの自信は早々に砕け散り、大海を知った大橋青年は余計ギターに熱中する羽目になってしまったんです。笑

───:まさに、人生を揺るがす生きがいとの出会いですね。

就職、そして…突如訪れた転機

───:音楽に本気で打ち込みながら就職も視野に入れなくてはならない…大学時代はそんな難しいタイミングだったと思います。実際にはどんな日々を送っていましたか?

大橋:もちろん「プロのギタリストになりたい」という思いは変わっていなかったので、大学3回の時に国際ギターコンテストに応募したんです。エリッククラプトンをはじめ名だたるギタリストが審査員を務め、受かればバークレー音楽大学に留学できるというものでした。そこで運よく日本代表に選ばれ、世界審査に歩を進めることに。そこから徐々に流れが変わり始めました。自分のバンドの動員も増えていき、多くの方から音楽制作のお誘いをいただくようになったんです。結果コンテストのグランプリには一歩届きませんでしたが、やっと可能性が見えてきた感覚がありました。

とはいえ音楽一本で食っていくのはまだ難しいと考え、色々なオーディションに応募しつつ就活も同時進行していました。最初に入社したのは、タバコの自販機などの企画販売を行なう京都の会社。新規の営業部隊で、酒販店や米屋のマーケティングやコンサルティング業務を行なっていました。私はこの会社でビジネススキルや商売人としての基本を固めたといっても過言ではありません。当時の上司とは今でもたまに連絡を取るほど仲が良いですし、とても恵まれた就職先だったと思います。

大橋:しかし、ここで転機が訪れます。なんとその会社に入社してすぐの夏、大学在学中に応募していたオーディションの合格通知が届いたんです。悩みに悩んだ末、翌年3月末までの1年で会社を辞めて音楽レーベルに入ることを決めました。「プロのギタリストになりたい」という夢が、思いがけないタイミングで叶うことになったのです。

“好き”を追及する情熱は、人材・ITの領域へ

───:そこからのお話も、ぜひ聞かせてください。

大橋:はい。実際、そこからは苦労の連続でした。大学に入った時も上には上がいると驚いたものですが、プロの土俵には今までとは比べ物にならないくらいハイレベルなプレイヤーがゴロゴロいたんです。ほぼ気合だけで這い上がってきた私のようなギタリストには、なんとか食らいつくのが精一杯の厳しい世界でした。もちろんギタリスト1本では食べていけなかったので、IT系の人材派遣会社に入り2足のわらじで働いていました。

元々は「音楽業界でマネージャーをやってみないか」というお声もいただいていたんですが、それはやりたくなかったんですよね。やはり自分はギタリストだ、という確固たる思いがあったので。とはいえ、マネジメント系の仕事が自分に向いているだろうなという自覚はありました。じゃあ別業界でそういう仕事をしてみようとなった時に、ピンと来たのがIT業界。エンジニアのシステムやモノを作り上げていく技術と、ミュージシャンの曲を作ったりその表現としての演奏技術が、なんとなく近しいものがあると感じたんですよね。

大橋:そんなこんなで、30歳になるまでの6年間は音楽と会社を両立しながら必死な毎日を送っていました。その後は仕事を一本に絞ると腹を決め、本格的に人材・ITの道へ。その頃には、音楽と同じくらいの情熱を注ぐほどこの仕事が好きになっていました。しかし当時の会社は外資系企業に買収され自分のやりたいことができなくなっていったため、日本の人材会社に転職。そこで今のビジネスの原型となる技術者派遣事業を立ち上げたのが、40歳手前くらいの時でした。

それからも色々な経験を重ね、自分なりに思い、悩み…気づけばもう55歳。だんだんと「このまま惰性でサラリーマンをやっていてもあまり面白くないな」と感じるようになりました。そんなある日、以前働いていた人材会社の仲間とたまたま会う機会があったんです。その彼こそが、現・E-agentのオーナー企業であるテクノブレイブ株式会社の創業者。そこから新しいことを一緒にやってみようという話になり、E-agentという会社が誕生したというわけです。私の原動力はあくまで「好き」「楽しい」なので、久しぶりの刺激に胸が躍りましたね。趣味でも仕事でも、何かを始めるのに遅すぎるなんてことはないんです。

───:代表の歴史を垣間見た思いです。人生の中でいろんなことがあっても、好きなことに一直線な生き方だけは少しも変わっていないんですね。

すべてのエンジニアを、カッコよくしたい

───:最後に、これまでの人生を振り返って思うこと・これからの人生への思いなどはありますか?

大橋:これはつくづく思うことなんですが、チャンスって「人」からしか来ないんですよね。仲良くしていた楽器屋の店員さんにオーディションのことを教えてもらったり、音楽プロデューサーがたまたま気に留めて拾ってくれたり、昔の仲間と再会してE-agentを立ち上げることになったり…すべては「人」のおかげです。そこに関して自分は本当に恵まれているなと。もちろん運もありますが、やりたいことへの情熱が伝わったからこそ皆さんが手を差し伸べてくれたのかも、とも思います。

だからこそ、これからはエンジニアをカッコよくさせたい。思わず振り向いて、手を差し伸べてしまうような…そんな人材を育てていきたいと思っています。私は今の自分を、芸能プロダクションのマネージャーだと思っています。その人がどうすればもっと輝くのか。その人のカッコよさは、その人の魅力は何なのか。それを見つけ出し、磨き、世に送り出す。それが私の使命だと考えてますね。人生100年、まだまだこれから。いつまでも、好きなことに一直線な自分でありたいと思います。

───:ありがとうございました。これからも、その背中を私たちに見せてください!

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